皆さん、北海道新聞社さんの今日の話題というコラムをご紹介します。
バブル崩壊後の景気低迷期が「失われた十年」と呼ばれて久しい。もっとも第二次世界大戦後の英国の不況や1980年代のラテンアメリカの経済危機でも、同じようなことが言われている。必ずしも日本にだけ当てはまる言葉ではないようだ。しかも何が失われたのかを考えてみると、本当のところはよく分からない。株価や地価の下落など経済的な損失が強調されがちだが、それだけではないだろう。
そうした疑問の答えとして参考になりそうなのが博報堂生活総合研究所がまとめた
「日本の喪失五力」だ。
「大地」の力がやせ細り、食糧自給率の低下や環境汚染が進んでいる。
「身体の力」が落ち、体力、知力とも失われている。
「倫理の力」が外れ、治安が悪化し、政官業の不祥事も後を絶たない。
「連帯力」が薄れ、家族のふれあいや職場の人間関係が希薄になっている。
「均衡の力」が崩れ、地域や所得の格差が広がっている。
これら総てをバブルの後遺症とみるのは無理があるが、うなずける指摘も多い。問題は今もまだ、こうした傾向が続いていることだ。格差拡大など、むしろその後の構造改革で、ひずみが大きくなったものも少なくない。経済の変調や改革で大切な何かが失われる。政治の責任でもあるのに、政府の関心が薄いのが気がかりだ。
北尾吉孝さんも書物の中で言っておりました。
明らかに道徳が廃れているのですから、徳育を復活させる必要があると。それはわかりきったことなのに、政府の中からそういう声が出てこないというのは大きな問題であると。ここで徳育を復活しなければ、日本の築き上げた豊かな物質文化も終わってしまうという危機感が私にはあるとも述べてあります。皆さん、是非日本の良さを失くさないで下さい。一度失われたものはそう簡単には戻っては来ません。矢萩節はこれからも指摘して参ります。
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