2008年4月2日水曜日

大人と人間最終章

皆さん、本日は大人と人間最終章となります。
トリは五木寛之著人間の関係よりお話を少々。
【理解に基づく静かな愛情こそ】
乱暴な言い方をすれば、恋愛感情だけで夫婦が成り立つとはぼくは思いません。
そういうものは若い時代に通過して、結婚してからは、ともに家庭を築き、ともに子供を育て、社会人として努力する。あるいは商売をなさっているかたでしたら、お店を切り盛りするためにがんばる。子供が生まれてからもまたさまざまな苦労があるでしょう。
いっしょに共同の事業を連帯してやっていく同志としての絆。それこそが青年期をすぎ、壮年期をすぎ、そして初老期にあってもなお、ふたりの人間をつないでいる大事なものなのではないかと思ってやってきました。夫婦といえども、しょせんは「他人同士」なのではないか。恋愛感情というのは深まっていくときもあれば、冷めるときもある。それを支えるのは、もっと質の高いもの、それぞれの性を抱えながらも、人間的にお互いを理解することのできる関係なのかもしれない。
それぞれに相手を人間として理解し、尊敬しあい、同時にちゃんと評価をする。いいところも悪いところもわかった上で、ともに生きてきた年月というものを大切にする。思い出という大事なものを共有しながら。それが、人間と人間の関係なのではないでしょうか。
【すべての行為は、自分にかえってくる】
大切な人に対しては、自分なりに一生懸命、できるだけのことをすればいい。そして、それに対する見返りは一切期待しないほうがいい、・・・・。
仏教では、人になにかを施したり、あたえたりすることを布施といいます。いまではお寺やお坊さんに金品をさしあげることとして使われていますが、本来は「布施行」という行の一つなのです。
貧しい人や困っている人たちに施しをするのも布施ですが、行として考えると、それは自分のためにする行為であって、相手から感謝をうけることを期待するのはまちがいだということに気づきます。
布施という機会をあたえられ、それによって自分が幸せになるのですから、むしろ、こちらのほうが合掌し、「ありがとう」と言わなくてはならない。
・・・・同じように、誰かを信用して、たとえ最後には裏切られたとしても、それをうらんだりすることはないのです。一生懸命相手を愛し、尽くしたことで、自分になにかを得たのだ、と思うしかないのではないか。
皆さん、上記の二つ、どう感じましたか?
人間形成がまだ十分にできていない未熟児矢萩節は全く逆の行動や、考え方をしております。
結婚生活は同志としての絆は全く無く、嫁さんの忍耐力のお陰。人に何かをすれば、それ以上の見返りを必ず期待しちゃいます。
「そんな事、当たり前じゃねぇ~か」と。そんな矢萩節は何か「ふにおちない」ものを感じながら読んでおりましたが、最後のエピローグに矢萩節の考え方を変える一文がありました。
それは、
そんな時代(移り変わりの激しい・変化が激しい)に、すこしでも頼りになるものを探すとすれば、それは一体なんだろう。
変る世の中に、変らずに残るものが、人間の「関係」であると。
皆さんも、この言葉を読み返して下さい。きっと何か思うところありますから。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

しかし、矢萩さん、よく勉強されますね。感心します。実は、僕もやること無くて(ゴメンナサイ!!僕もでは無く、僕は・・・でした。)読書三昧です。和田さん、五木さん、読みました。読みましたが、矢萩さんの速さには負けます。雪解けなったら本なんか読んでいられなくなるから今のうちに詰め込んでおいて下さい。そして、いろいろ教えてください。最近は、本の選択も目次と”はじめに”で判断してしまう習性が付いて購入しなくなってしまいました・・・。(笑)

匿名 さんのコメント...

名古屋の友人さん、コメントありがとうございます。ご指摘の通り、雪も解けてきたのでそろそろ課外活動開始です。
タイプ的には陰より陽、静より動なので、活動第一弾は御社の新人さんを招いての出張となりそうです。楽しみにしております。

tamasabu さんのコメント...

矢萩節さん、こんにちは。
私はこの本を矢萩節さんとの出会いから今日までのおつきあいをオーバーラップさせながら一気に読みました。

変わる時代だからこそ、変わらないもの、変えてはいけない大事なものがあるのですね。

矢萩節さんが大事にしようとしていることは、決して古風ではない、むしろ、今の時代にして最も最先端だと思いました。